白山書房の本紹介


ふたりで登った百名山
安藤 久之=著 A5判255頁 定価2,000円(本体)

 五〇歳になって「残された人生、やりたいことをやろう。今が一番若いのだ。明日より今日が若いのだ」と自分に言い聞かせ、時間を作り、登山を再開した。
 車に荷物を積み込み、夫婦ふたりで行動すれば旅費は半分ですむ。可能な限り良質で軽量な道具で山を楽しみたい。自分のテントで自分の行きたい山へ出かけ、自分の力を試してみたい。そんな学生時代の夢がかなえられそうに思えた。
 妻と共に登っているうちに、やがて妻に連れられて登っていることに気づき、一五年間で見事にふたりで百名山を完登した紀行集。
(写真オールカラー、百名山登山年譜、名古屋からの主な山への行程リスト掲載)

[筆者紹介]
安藤 久之
(あんどう ひさゆき)
1937年、名古屋市に生まれる。愛知学芸大学山岳部OB。山の本倶楽部会員。
平成九年に三十七年間の教職を退き、トワイライトスクール(放課後学級)の企画開設に努め、現在はその運営指導者を勤めている。地域ではボランティアとして蛍の飼育、放流や緑化推進活動に努めている。


[目次]
はじめに 1

1 懐かしい山々へ

白馬岳 10

伊吹山 12

八ヶ岳 14

2 穏やかな高原へ

霧ヶ峰・美ヶ原 18

蓼科山 20

筑波山 22

大台ヶ原 24

3 花に迎えられて

大峰山 28

燧ヶ岳 30

草津白根山 32

平ヶ岳 34

鳥海山 36

早池峰山 38

石鎚山 40

八幡平・岩木山 42

白 山 44

四阿山 46

恵那山 48

4 残雪から新緑へ

常念岳 52

剣 山 54

大 山 56

大菩薩嶺 58

雲取山 60

鳳凰山 62

吾妻山 64

那須岳・磐梯山 66

男体山 69

飯豊山 71

5 山上の楽園を歩く

会津駒ヶ岳 74

苗場山 76

巻機山 78

越後駒ヶ岳 80

至仏山 83

火打山・妙高山 86

朝日岳 90

6 岩峰のある山

金峰山・瑞牆山 94

武尊山 98

岩手山 100

7 お湯の中から山を想う

谷川岳 104

八甲田山 106

雨飾山 108

天城山 110

安達太良山 112

御嶽山 114

両神山 116

浅間山 118

皇海山 120

荒島岳 122

8 夏は北海道の山々へ

トムラウシ山・大雪山・十勝岳 126

羅臼岳・斜里岳 131

後方羊蹄山 135

阿寒岳 137

幌尻岳 139

利尻山 141

9 一万尺の稜線を歩く

剱 岳 144

奥穂高岳 147

槍ヶ岳 149

立 山 152

黒部五郎岳・笠ヶ岳 154

薬師岳 158

五竜岳 160

鹿島槍ヶ岳 162

焼岳・乗鞍岳 164

鷲羽岳・水晶岳 167

北 岳 170

間ノ岳 172

甲斐駒ヶ岳・仙丈ヶ岳 174

塩見岳 178

悪沢岳・赤石岳 180

光岳・聖岳 184

木曽駒ヶ岳 189

空木岳 191

10 紅葉から新雪へ

高妻山・194

月山・蔵王山 196

日光白根山 199

甲武信ヶ岳 201

赤城山 203

丹沢山・205

11 冬は南国の山々へ

九重山・阿蘇山・祖母山 208

開聞岳・霧島山 213

宮之浦岳 216

12 最後の山

富士山 220

13 海外の山

憧れのヒマラヤへトレッキング 226

スカイラインハイキング 234

グランドトラバース 237

マッキンリー展望とハイキング 240

百名山を登って 244

あとがき 246

ふたりで登った百名山・年譜 249

名古屋からの主な百名山への行程 253

[本文の抜粋]

はじめに

「こんなに若かったの」
「こんなところをよく登ったのだ」
 と古い山のアルバムを開きながら、無事に登れたことに感謝している。四週五休と言って月に一回連休がとれるようになったころから、再び山登りをはじめた。
 丁度五〇歳になったころで、残された人生、やりたいことをやってやろう。今が一番若いのだ。明日より今日が若いのだと自分に言い聞かせ、時間を作り、山登りを再開してもう一五年がたった。
 山の道具も学生時代には考えられないほど軽量に、そして良質に改良されていた。
 五〇代からの山登りである。可能な限り良質で軽量な道具で山を楽しみたい。自分のテントで自分の行きたい山へ、行きたいときに自分の力を試してみたい。そんな学生時代のささやかな夢がかなえられそうに思えた。「青春とは、人生のある時期ではなく、心の持ち方を言う。……青春とは臆病を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を持つことを意味する」とサムエル・ウルマンは謳っている。どこまで登れるか分からないが目標を定め、次の休みはあの山、その次はどこと計画と準備を進めた。費用がかからぬよう車に荷物を積み込み、ふたりで行動すれば旅費は半分ですむ。使いそうな装備をすべて車に積み込み、現地の気候をみて持ち物を決めた。
 はじめは若いときによく登った八ヶ岳や穂高岳周辺へ出かけ、山々の美しさや偉大さを再発見して感激した。もう登れないとあきらめていた山に登れたことに感謝して、ゆっくりと自然を見つめるようにもなった。倒木が朽ち果て、その上に若木が育ち自然の輪廻を知らせてくれた。そして荒れ果てた植林や林道は人間の醜さを痛烈に教えてくれた。
 百名山を意識し始めたのは、冬に容易に登れる山を探し始めてからである。冬は、暖かな南国の山々を目標に入れれば、いつでも山を楽しむことができる。冬の明るい原生林を歩くと春を待つ木々の息吹を感じ、自然林の力強さを感じる。さらに夏は涼しい北海道の山へ足を伸ばすようになり、気候や風土の南北の違いを体験的に知ることができた。
 全国の山を巡ることは、様々な温泉を巡り、その土地のうまいものにも巡りあえる。何よりもこころを慰めてくれたものは、厳しい条件の中で咲き競う高山植物や野生動物に出会えたことである。悲しいものも見た。交通事故で怪我をしても車道に飛び出すおねだりキツネである。車を止めれば餌にありつく。餌を与えた人間が憎い。
 可能な限り静かな山をゆっくり登りたい。そのために普段の時間を少しずらし、朝食を稜線や頂に出てから食べるようにしたり、行動食を工夫したりした。山での行動は午前中に大半が済むようにつとめ、静かな頂で時間をとるようにした。山の時差出勤のようなものだ。もう一つは、暖かい飲み物を頂でつくりゆっくり飲むことだ。気分が落ち着き様々な感覚が冴えてくるようにおもえた。これからは見晴らしのいい稜線にどっかと腰をおろして、登ってきた山々をスケッチするような山旅にしたいと願っている。

30年ぶりの山

白馬岳[長野・富山]           昭和六二年八月一〜二日

 今も使える山の道具といえは、門田のピッケルと、大学四年の時に特注で作らせた登山靴の二つだけである。久しぶりに山のスポーツ店を覗くと、浦島太郎のようにキョロキョロと驚くものばかりである。棚に並んでいる登山靴の軽いこと、リュックがカラフルで縦長に変身していて、横長のキスリングなどはどこにも見当たらない。

 三〇年の時の流れを痛感する。今では大糸南線の信濃四谷という駅名は無く、更に「しろうま」(代馬)でもなく「はくば」(白馬)というらしい。山までハクバダケと呼ぶ若者がいる時代だそうだ。

 バスに揺られて猿倉に着くと生憎の雨である。さっそく雨具を着て、馬尻まで多くの登山者にまじり登り始める。なんてこった、三〇年ぶりにやってきた山の初日が雨とは……。昔のポンチョを被った初老の男は、さぞカラフルな雨具の集団の中では異様な存在であったに違いない。

 懐かしい大雪渓の前に立つ。三〇年前に見たときは、もっと大きく何か迫ってくるような感じであったが、薄汚れて貧弱になったようだ。

 軽アイゼンを娘に付けてやり、雪渓の上に立ち黙々と登り始めるが、すぐに息が切れ、荷物が肩に食い込む。実に情けない。一息入れて、またあえぐ。あえぎながらも気持ちは晴れ晴れとしてくる。大雪渓を一歩一歩踏みしめながら、俺はまた山に戻ってきたのだという想いが沸々と湧いてきて楽しい。しかしなかなか草付が現れない。さすが全長三・五キロの日本三大雪渓であるが、体力の落ちた初老にはつらい。平均三五度の勾配は今となってはかなりきつい。

 大雪渓をクリアして、あちらこちらに白や黄色の花が見え始め、白馬のお花畑を通過しているのだが、ゆっくり見る余裕も無い。必死に登り続けながら、ピンクがハクサンフウロ、黄色がキンポウゲ、白がハクサンイチゲなどとぶつぶつ言いながら、連れと娘からかなり遅れて山荘にたどり着く。

 翌朝快晴、雲海から朝日が針のように一筋二筋と射す日の出を見た。ご来光に感激である。いい気分で三人揃って山頂を目指し、二九三二メートルの山頂に立つ。今も三角に尖って颯爽とそびえ立つ白馬の頂は美しい。

 帰路は白馬大池を眺めながら栂池へ下った。

あとがき

 百名山登頂と言っても正確には完登していない。岩手山は不動平から頂上をめざしたが、烈風に戻されてしまった。北海道の羊蹄山も火口壁の上まで這い上がったが強風で小屋に舞い戻った。ふたりで登ったと言っているが筑波山は別々に登っている。三角点を踏んだから登頂したと言うのもさびしいことだ。八幡平も霧ヶ峰も美ヶ原も行っていないところがまだまだある。山域は広く山はなかなか登りつくすことは難しい。登ろうと挑戦して九割方登ったように思っているだけだが、記憶が薄れないうちにと思い、ひとまずここにまとめた。

 百名山は登山者が多いからと毛嫌いする方がいるが、やはりいい山が多い。工夫次第で静かな百名山を楽しむこともできる。百名山を目指していた一五年間は充実した年月だったと思う。目標があることはたのしい。いつも自分で目標を作り、それを目指してこれからも生きてゆきたい。今も勤めを持つ身である。休みを最大限活用して山でリフレッシュしたい。毎日が日曜日なら早く登れたと思うが、やりくりして登るのもまた格別であった。

 特に日本各地の山を登るため、初めてその村や町を訪れ、様々な方とふれあい、いい思い出をつくることが出来た。その地方の名山に登り、ふもとの温泉に浸り、めずらしい食べ物をいただく、という最高の体験をふたりで共有できたことに感謝している。

 連れを連れて山に登っているうちに、いつの間に連れに連れられて登っていることに気づき始めた。人の世の常なのかもしれないと納得するようになってきた。このほうがごく自然のように感じられるようにもなった。ただ、今になって腰痛に苦しんでいるのは最近の生活態度から来るものであろうと反省しているが、まだまだ山行きを続けたいと念じている。

 最後になりましたが、白山書房社長兼「山の本」編集長の簑浦登美雄氏には格別なご助言とお力添えをいただきました。厚く感謝申し上げます。

                           平成一六年 早春     著者


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