白山書房の本紹介

奥秩父からランタン谷へ 加藤司郎著 四六判214頁 1,500円(本体)

還暦山行でヒマラヤのランタン谷へトッキングへ出かけ、高山病をおして四千メートルの高所体験をし、また葬列にでくわして「生きている世界」と「死後の世界」がそれほどかけ離れていないのを目の当たりにする。はみだし役人の本音で綴った定年までの山の日々。

●著者プロフィール
加藤司郎(かとう・しろう)

 1939年、埼玉県川島町生まれ。東京教育大学(現筑波大学)農学部卒、埼玉県職員となり、研究者として試験研究機関に37年間勤務、専門は食品微生物(農学博士)、定年後埼玉大学地域共同研究センター客員教授。
 1990年12月より1996年3月まで奥秩父雁峠山荘の管理を引き受け再建にあたる。「山の本」(白山書房)のコラムに「雁峠だより」を創刊号より十五号まで執筆。環境省自然公園指導員。
著書に『雁峠だより』(はみだし役人の山小屋再建記)、『山ありて幸い』。いずれも白山書房より出版。


●奥秩父からランタン谷へ/目次

序にかえて
初春の上高地
やっと辿り着いた雁峠山荘
和名倉山を目指す
心身障害者三人、残雪の尾瀬へ
想い出いっぱいの両神山
しらびそ小屋
梅雨の晴れ間の谷川岳
高谷池から火打山・妙高山
七時雨から夕張岳、知床の山へ
久しぶりの雁峠山荘
池田先生三周忌山行
『山ありて幸い』出版記念山行
戸隠、高妻山
丹沢の主脈を歩いて思ったこと
「霊にまねかれた山」
残雪の守門岳
雨飾山
北岳・間ノ岳で高度順化訓練
再度富士山に登る
ヒマラヤ ランタン谷トレッキング
新たな門出の守門岳
心残りの浅草岳
雨の雨飾山
七時雨から飯豊山へ
おわりに

●「ヒマラヤ ランタン谷トレッキング」より抜粋

 キャンジンゴンパへ

 昨日途中まで行って引き返した丘を過ぎると、いったん少し下って沢を渡りまた登る。段丘は広くなって、何十軒かの集落があり、道端に小学校と看板のかかった建物があった。日本の物置のような造りで、十畳程の部屋が三つあったが、窓はなく暗い土間があるだけだった。もちろん黒板などはない。ここでどういう授業が行なわれるのだろうか見当も付かない。そこからしばらく行った茶店でミルクティを飲んで休んだ。
 もうこの辺りの標高は富士山よりも高い。高山病にはなるべく水分を多く取った方がかかりにくいらしい。シェルパが高山病の予防になるという薬草が入った飲み物を分けてくれた。岩村君はかなりつらそうだが、私も少し頭がぼんやりしてくる。
 二人の竹篭を背負った若い娘さんが切り立った崖をどんどん登って行く。ヤクの糞を集めに行くらしい。ヤクや羊、山羊が日だまりで草を食みながらのんびりと過ごしている。ここでは、人間より彼らの方が堂々とふるまい幸せそうに思える。「日本人の馬鹿どもは、なんで高山病に悩まされながら、わざわざこんな所まで来るのかとヤクが嘲笑っているかもしれない」と言うと、シェルパ頭が声を出して笑う。
 段丘が狭まりランタンコーラの淵を通るようになると、左手前方の高台にタルチョーが見える。沢を渡って大岩がごろごしているモレーン丘に出ると、予想もしなかった広々とした台地が前面に開け、その一角にキャンジンゴンパの集落(常住ではなく放牧の基地)があった。
 その丘で反対方向から歩いてきた一人の日本人の御婦人に会った。ここでは日本人にあまり会わないので、仲間にでも会ったような気がしてしばらく話をする。彼女はランタン村の水力発電やパン、チーズ、ケーキ製造工場などに技術援助を行なっている日本人ボランティアグループの一員らしい。こんな異国のさいはての地でそういうことをしている人は、どういう考えを持った人か非常に興味を覚えて、帰りに必ず工場に寄るからと約束して別れた。後でわかったことだが、その方(貞兼綾子さん)は、雁峠山荘に何回か来たことのある明石さんの親戚の方だった。山での出会いの不思議な縁に驚く。
 キャンジンゴンパ(三八四〇メートル)には、十一時頃着いた。私達の滞在するテント場は、集落の中心部から少し奥まった一角にあった。テント場は四方を石で積み上げて囲ってあり、東側と西側に自由に出入り出来る通路がある。西側の通路の横に石積みの家があって、そこが管理人の家兼調理場になっていた。そこの集落には登山者のための宿泊所が約十軒、テント場、チーズ工場、軍の駐屯地などがあると聞いた。
 四千メートル近い高地でも日差しが強いので日中は暑いくらいである。食堂用テントが張られて、すぐ昼食が出されたが、皆食欲がない。特に若い岩村君は完全に高山病にやられ、安藤君、その次に私の症状が重いようだ。<略>




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