白山書房の本紹介


山頂渉猟  南川金一著 A5判 299頁 価格2,000円(本体)

我が国の2000m以上の642山、その総てに登った男の、道のない162山の驚異的な記録集。

日本における近代登山は探検時代から始まって約百年になり、今では登山道が至る所にでき、山小屋も建ち、誰しもが登山を楽しめるようになった。しかし、目を主稜線から少し離せば、原始の姿そのままの山がいくらでもある。
そうした山を、二万五千図を手にして残雪を踏み、ある時は藪を掻き分けて執拗に山頂をめざした行為は、「日本の山を再発見する山旅」に他ならなかった。写真、地図掲載、巻末に642山のデータ付。

[掲載山岳]北アルプス、南アルプス、中央アルプス・御嶽山周辺、日光・尾瀬周辺、上信・信越国境、八ヶ岳・奥秩父周辺、白山周辺

●著者プロフィル
南川金一
(みなみかわ きんいち)
1940年、北海道生まれ。日本山岳会会員。1960年頃より山登りを始める。深田久弥氏の紀行文により山を見る目が開かれる。単独主義ではないが、自分の時間的条件を最優先させ、その条件のなかで最大限効率的に歩くとなると、自ずから単独が多くなっていった。
元日本山岳会『山岳』編集担当理事。
現日本山岳会『山岳』編集委員・百年史編纂委員。



●はじめに

 日本の山の再発見
   ――まえがきに代えて――

 二〇〇〇m以上の山六百四十山を二〇〇一年に登り終えた。なぜ二〇〇〇m以上の山なのか。最初からそのような目的があって山登りをしてきたわけでもないし、とりたてて説明をするほどの理由もないのだが、まずはそのことについて述べておきたい。
 私の山登りでは、北アルプスでも、南アルプスでも、縦走路から少し離れた位置にあるようなピークもその都度必ず登るようにしていたから、登った山の数は随分多くなっていった。燕岳〜常念岳でいえば東天井岳、横通岳のような山である。十年ほど前まで日本山岳会が毎年発行していた『山日記』には、富士山の剣ヶ峰から始まる一六〇〇m以上の日本の山を高度順に並べたリストが載っていて、当時としては貴重な山の資料であり、私にとっても自分が登った山をチェックできるなど楽しみな記事だった。ある時、その『山日記』に二百四十余載っている二五〇〇m以上の山のうち、まだ登っていない山の数が三十程度であることに気が付いた。その数からいえば、登り残している山もそれほどの苦労もなく登ってしまえそうに思えたので、二五〇〇m以上の山すべてに登ることを目標に据えてみたのだった。しかし、実際やってみるとそれほど簡単な目標ではなく、北アルプスでは硫黄岳、南アルプスでは小日影山、大唐松山、黒檜山などは気が重くなるような山であったが、一回でだめなら二回、三回と挑んだ。全力投球で臨んで一つ一つの山をクリアーしていき、一九九〇年に二五〇〇m以上の二百四十二山を登り終えた。それらの山登りを通じて藪山登山のノウハウが蓄積され、すでに五十歳をすぎていたものの、さして体力の低下は感じられなかったので、引き続き二五〇〇m以下の山についても可能性を追求してみたい思いに駆られたのであった。かといって、目標をいきなり二〇〇〇mに下げたのではあまりにも数が多く、精神的にも負担になるので、さしあたって二四〇〇m級を目標とすることとした。
 二年後の一九九二年、二四〇〇r級三十七山を登り終えた。引き続き二三〇〇m級六十四山を一九九七年、二二〇〇m級六十三山を一九九九年、二一〇〇m級九十六山を二〇〇〇年に終わり、二〇〇一年六月、二〇〇〇〜二一〇〇mの百三十八山を登り、二〇〇〇m以上の六百四十山を登り終えることができた。これらについては、その都度日本山岳会の機関紙にのみ簡単な報告を載せた。山が低くなれば易しくなるものではないことはいうまでもなく、次から次へとある新しい山にどう登ればよいか、地形図を広げて作戦を練る山登りが二十年も続いた。終わったときには還暦を過ぎ、昔であれば隠居の年齢になっていた。生涯をかけての道楽だったということになる。われながら、その山の数と、費やした時間と経費が半端でないことに驚き、かつ呆れることしきりである。
 山の数の数え方は、見方によって異なるので絶対的な数は出てこない。地図上に山名が載っているものを数えるだけであれば簡単なことであるが、それとても、例えば富士山についていえば、最高地点の剣ヶ峰を踏めば富士山に登ったことになるから、富士山を一つと数えればよいといえる。しかし地形図上には、二〇〇〇m以上としては剣ヶ峰のほかに白山岳と宝永山が載っているから、山名が注記されている山を数えれば三つになる。さらに、乗鞍岳についていえば、十石山まで加えれば、二・五万図では十六の山名を数えることができ、剣ヶ峰の南東に高天ヶ原という立派なピークもある。私はこれらも山の数に数え、数えるからにはそのすべてに登った。
 また、地形図上に山名注記のない山をどう数えるかということになると、これはさらに難しい。地元の山の人が「○○沢の頭」と呼んでいるようなピークまですべてを拾うのは事実上不可能である。さらに、地形図上に地点名として表記されているピーク、すなわち一・五ミリ角の明朝体で表記されている奥穂高のジャンダルムや西穂高の独標のようなピークを一つの山として見るかどうかということになると人によって見方が分かれるであろう。私は、二〇〇〇m以上の山について、五万図または二・五万図に山名注記のある六百一山をすべて拾い、山名注記のないものについては三十九山を拾ったので、合計六百四十山となった。
 しかし、地形図の表記は不変のものではなく、新しい版が出ると、山名が新たに注記される場合がある。最近になって、二・五万図「蓼科」図幅に稲子山とニュウの二つの山名が新たに注記されていることを知った。いずれも二三〇〇m級である。新しい「蓼科」は二〇〇二年四月発行である。地形図に山名が載るようになったからには大急ぎで登りに行ったのはいうまでもない。したがって、この二山を加えて二〇〇〇m以上の山を六百四十二とした。常に最新版の地図を見ているわけではないから、まだそのような見落としの山があるのではないかと危惧している。
 日本における近代登山の歴史はほぼ百年になる。近代登山というのは趣味としての山登りという意味である。それ以前にも、信仰による登山や、鉱物の探索、測量のための登山などはあったが、趣味としての日本人の山登りは十九世紀末ないしは二十世紀初頭からである。小島烏水と岡野金次郎の二人の青年が槍ヶ岳に登ったのは一九〇二年であった。その頃の山登りは、詳しい地図とてなく、その山域にある程度詳しい猟師や山仕事の人たちを案内に頼んで登る、探検登山といってよいものだった。槍ヶ岳に登るに際し、小島烏水が飛騨に住む友人に問い合わせたところ、「一人、二人の登山者はいつも行方不明、……目的を達っせし者ほとんど皆無の由、……熊、狼、山狗、猪の本場に候えば、六連発の一挺に、山刀、手槍の一ふりくらいはぜひとも用意をすべき……」との返事が来たと、『槍ヶ嶽探検記』に書いている。小島烏水が問い合わせたくらいであるから、山に関してはある程度の知識を持っている人であっただろうが、当時の北アルプスに対する一般の認識はこの程度だったのである。そのような世界に踏み込むのであるから、山登りは文字どおり探検の世界であった。
 そのような時代から約百年が経過するうちに、探検時代の舞台であった日本アルプスにも、登山道ができ、山小屋ができて、誰しもが山登りを楽しめるまでに登山は普及した。それはそれで結構であるが、今となっては昔のような人跡稀で静かな山は望むべくもない。では、”熊、狼、山狗の本場”と見られていたような探検的な奥深い山は、この日本の国土から完全に消え失せてしまったのだろうか。私は、そうは思はない。確かに、登山道のある主稜線と山小屋の周辺は登山者が充満し、ゴミや排泄物処理が大きな問題になっているほどである。しかし、目を主稜線から少し離れたところに向けてみれば、大げさないい方をするなら、原始の姿そのままの山がいくらでもある。もとより人跡未踏ではないし、探検登山時代とまったく同じではないにしても、それに近い雰囲気の山が今なお少なからず残っているのである。本書中にも幾つかを紹介しているとおり、山登りの先人たちは探検時代の山についての優れた紀行文を残してくれた。今日それらを読むと、この数十年から百年の間に山が随分変わってしまったことに気がつく。と同時に一方では当時と変わらないままに残っている山、あるいは、昔の山道が使われなくなってそれ以前の姿に戻ってしまった山が少なくないことにも気がつくのである。
 そうした山は、ガイドブックの類いには登場しないから、登山情報が極めて乏しい。最も詳しく、そして唯一の情報源が二万五千分の一地形図のみであるという場合が少なくない。したがって、その山に登るためには二・五万図上で自分でルートを見出し、登るべき作戦も自分でたてて登りに行くことになる。判断が正しければ成功するであろうし、間違えれば相応の結果となる。もともと、山には登山道があったわけではないから、こうした山の登り方が実は、山登りの原点であり、未知を求める興味を満たすものがあったはずである。探検期の登山では、確かな情報の入手が難しかったから現地で案内人を頼んだが、今日では二・五万図という、安くて、この上ない重宝な情報源がある。
 このような意味において、私は、本書において取り上げたような山登りは、日本の山の再発見であると考えている。
 昔あった山道が使われなくなって、それ以前の姿に戻ってしまった山が少なくないと前述した。例えば南アルプスでいえば、一九〇六(明治三十九)年荻野音松が、あるいは一九〇九(明治四十二)年小島烏水、高頭式、高野鷹蔵らがたどった新坂峠越えの道(別当代山の項を参照)であり、北アルプスでは冠松次郎が歩いた欅平から坊主山を経て池の平へと至る道(坊主山の項を参照)である。いずれも今や道はなく、歩く者はいないところである。そのようなところを歩きながら、かつてそこを歩いた先達に思いを致すとき、その山への思いを先達と共有することができたように思うのである。それはこの上なく贅沢であり、幸せな思いであった。これも日本の山の再発見につながるものではないかと、私はひそかに思っている
 道のない山は藪に埋もれている場合が多いから一般に は藪山といわれ、他にそれに代わる適切な言葉も見当たらないので、ここでも藪山という言い方をするが、もとより目的は頂上に登ることであり、その途中に藪があってそれを突破しなければ頂上に到達できないから藪を分けるのである。それは高温多雨という気象条件からくる日本の山の特性であり、藪への対処策なしには日本の山には登れない。だが、できることならば藪を避けたいので、藪が雪の下になっている時期を選んで登りに行く。本書に取りあげた山には残雪期に登ったものが多いのはそのためである。しかし、無雪期に登ると藪の状態も含めてその山の本来の姿を知ることができる。苦労は多いが受ける印象は強烈なものがある。北アルプスの木挽山、黒部別山がそのような山だった。
 もとより山は高さで線を引いて登るものではない。趣味であるから、そんなことには構うことなく登って楽しめばよいのである。ただ、前述したように、藪山には藪山に登るためのノウハウのようなものがあり、登山道を辿って歩いて行けば頂上に着いてしまうような山登りとはまた異なる登山の面白さ、楽しさがある。そうした山登りにおいては「山高きが故に貴からず」である。この諺の出典は江戸時代の『実語教』で、「山高きが故に貴からず 樹有るを以って貴しとす」の前段だけが流布したのであり、言わんとする本来の意味は後段にあって、山の有用性を説いたものだという(岩波新書『ことば散策』・山田俊雄著)。すなわち材木の生産、保水と洪水の予防、さらに今日的な意義も加えれば空気の清浄化といった森林の役割を指しているのだろう。われわれ山に登る立場から、後段を含めてこの諺の意味するところを考えてみると、山を包んでいる森林はもとより、山にかかわる万象に目を向けよ、広く深く山を見る目を養え、ということではないだろうか。その意味では、二〇〇〇mなどという線引きは意味のないことである。高さにかかわらず「日本の山の再発見」に通じるような山はまだまだいくらでもあるといえる。
 「渉猟」とは、『広辞苑』には「広くわたり歩いてさがし求めること」、また、『大漢和辞典』(諸橋轍次著)には「歩きまわってたづねる」とある。二〇〇〇m以上の山頂を求めて日本中の山々をわたり歩いてきた筆者の思いを表わしているので、書名を『山頂渉猟』とした。
 山道楽に現を抜かしてこられたのは、何よりも世の中が平和であったことによる。さらに、頑健ではないにしろ故障の少ない身体であったこと、そして家族の理解があればこそである。戦中戦後の食料不足により身体も知恵も成長は悪かったが、故障の少ない体質を両親からもらうことができた。しかし、毎週末はもとより、盆、暮れ、正月もなく家をあけ、山の友人からさえも、”家庭を顧みない極悪非道人”呼ばわりされるとあっては弁解の言葉もない。

●目次(掲載山岳)

1 北アルプス北部

 黒負山(黒倉山)………17

 五輪山………22

 赤男山………23

 猫又山………24

 中背山………26

 東谷山………31

 一ノ沢ノ頭………32

 牛首山………33

 白沢天狗山………34

 駒ヶ岳・サンナビキ山………36

 釜谷山・毛勝山・猫又山………39

 大明神山………41

 大猫山………43

 白ハゲ・赤ハゲ・白萩山・赤谷山………46

 小窓ノ王・池平山………49

 早乙女岳………52

 西大谷山………53

 坊主山………54

 黒部別山・南峰・北峰………60

 丸山………63

 木挽山………66

2 北アルプス南部

 高嵐山………71

 硫黄岳………73

 赤岳………76

 清水岳………78

 牛首山………79

 赤沢山………80

 中山………82

 板戸岳………84

 蒲田富士………86

 錫杖岳………87

 大木場ノ辻………90

 六百山………92

 小嵩沢山………94

 安房山・アカンダナ山・白谷山………95

 輝山………98

 鎌ヶ峰………100

 奈川・開田村界尾根上 二〇三三・二m峰………102

3 南アルプス北部

 白岩岳………107

 鋸岳・編笠山………109

 三ッ頭・烏帽子岳………111

 嫦娥岳………112

 坊主山………114

 地蔵岳………116

 丸山………117

 小瀬戸山………120

 黒檜山………121

 離山………124

 八丁峰………126

 滝ノ沢頭山………128

 大唐松山………130

 大籠岳・白河内岳・笹山………132

 白剥山・別当代山………135

 権右衛門山………137

 徳右衛門岳………138

 二児山………140

 黒河山………143

 笹山・入山………144

 小黒山………147

 樺山………150

4 南アルプス南部

 豊口山………155

 小日影山………156

 栂村山・除山………161

 高山………163

 西小石岳………166

 前茶臼山………167

 丸山・キタ山・立俣山………168

 白蓬ノ頭………171

 伊谷山・上千枚山………173

 イタドリ山………175

 小河内山・水無峠山・三ノ沢山・青枯山・青笹山………177

 無岳山………179

 鶏冠山………180

 黒沢山・中ノ尾根山・合地山………184

 不動岳………187

 丸盆岳・小根沢山………189

 大根沢山………192

5 中央アルプス・御嶽山周辺

 大笹沢山………197

 黒沢山………199

 水沢山・大棚入山………201

 二三三八・七m峰・蕎麦粒山………203

 大島山………207

 小三笠山・三浦山…………209

 上俵山………212

6 日光・尾瀬周辺

  景鶴山・赤ナグレ岳………219

 台倉高山・孫兵衛山・黒岩山………221

 大戸沢岳………224

 袴腰山(高石山)・赤安山………225

 座禅山・錫ヶ岳・外山………227

 燕巣山・四郎岳………230

 高薙山………232

 荷鞍山………234

 笠ヶ岳………235

 三ヶ峰………237

7 上信越・北信・妙高周辺

 堂岩山・八十三山・大倉山………241

 白砂山・沖ノ西沢ノ頭・赤土居山・佐武流山………242

 上ノ間山・忠次郎山・上ノ倉山・大黒山………244

 ナラズ山………247

 黒湯山・御飯岳・老ノ倉山・土鍋山………249

 御巣鷹山………252

 嘉平治岳………253

 地蔵山………254

 赤倉山・三田原山………257

 大倉山………259

8 八ヶ岳・奥秩父周辺

 稲子岳………263

 峰の松目………264

 鶏冠山………266

 八幡山………268

 長峰・雨降山………270

9 白山周辺

 奥三方岳・間名古の頭………274

 南白山………278

 [付表]二〇〇〇m以上の山 281


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