| 白山書房の本紹介 |
帝釈山脈の沢 市川学園山岳OB会・佐藤勉編著 A5判115頁 1,500円(本体) 品切
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白神山地や南会津、足尾山地の地域研究で大きな実績をもつ市川学園山岳OB会が、三〇年にわたる帝釈山脈の沢の全貌をまとめ、開発の手が入る前の最後の自然の姿を伝えています。鬼怒川、伊南川、片品川流域をはじめ明神ヶ岳や荒海山、枯木山を巡る沢の記録を集大成した貴重な一冊。 ●著者プロフィール 佐藤 勉(さとう・つとむ) 昭和13年生まれ、旧市川学園山岳OB会、南会津山の会、日本山岳会、山村民俗の会の会員、著書『我が南会津』(昭和60年、現代旅行研究所発行)、坂本知忠氏との共著『白神山地』(旧版は昭和58年、新版は昭和62年及び平成10年、現代旅行研究所発行)。その他、白水社『日本登山大系』にも一部執筆、『山と溪谷』、『岳人』、『岩と雪』にも数多く執筆している。「日本の探検時代は終わった」というのが第二次大戦後の登山界の通説であったが、これに疑問を抱き地道な文献研究を始め、会の解散後も個人的にこの研究は続けている。 |
二、荒海山彙の沢
阿賀野川支流大川……本流荒海沢、荒海沢支流朝日岐沢(下降)
男鹿川支流入山沢……中の沢、沼ノ沢、倉掛沢、岳の沢
湯西川…………赤下沢、竹沢(下降)
館岩川…………番屋川(下降)
三、枯木山彙の沢
館岩川…………鱒沢支流黒沢、鱒沢支流曲沢、湯ノ岐川支流渡沢(下降)、湯ノ岐川支流赤岩沢
湯西川…………アサズマ沢、白滝沢左俣・右俣(下降)
四、無砂谷・馬坂沢
無砂谷…………無砂谷本谷下流部、無砂谷本谷上流部ダキガエリ沢(滝返沢)、クロブ沢(黒檜沢)
ナガフセリ沢、スリ沢、コウドフシ沢(子落沢)
馬坂沢…………馬坂沢本谷下流部、オオイデ沢、サル沢、ソバイシ沢、フキジ沢、ニデン沢、
スリ沢、無名沢
五、黒沢・コザ池沢
黒沢…………魚沢、赤岩沢(下降)、トウガン沢、門石沢
コザ池沢……本谷、小北沢左俣、北沢
六、鬼怒川最上流の沢
鬼怒川本流、上の黒沢(一里沢)、根名草沢、オロオソロシ沢、日光沢(下降)、日向オソロシの滝
七、舟岐川
小沢倉沢、焼沢、根名草沢、曲沢(マガッサワ)、黒沢・火打石沢(舟岐川本流)、深沢(下降)、
越ノ沢、ゲンバ沢、トヤス沢(馬坂沢)、呼出沢、深戸沢
八、実 川
実川本流下部、黒溶沢、根名草沢、矢櫃沢、赤安沢左俣(トヤマ沢)、赤安沢右俣、ゴキタ沢、
赤倉沢右俣、赤倉沢左俣、硫黄沢
九、西根川等、帝釈山脈北面の沢
湯ノ俣川祖母ナ沢(伯母ノ岐沢)滝沢、西根川本流、見通川支流倉ノ沢
十、片品川、中ノ岐川
中ノ岐川・北岐沢(本谷)、北岐沢支流左俣、東岐沢本流左俣、東岐沢猿沢、東岐沢ブナ沢、小淵沢(ニゴリ沢)
十一、片品川支流、根羽沢
北場沢、湯沢、カラノマタ沢、大薙沢
十二、片品川左岸支流(車沢)・ 大滝川
車沢北岐、車沢東岐、大滝川支流赤沢、大滝川小川支流四郎沢(下降)、大滝川小川支流湯沢左俣
十三、片品川右岸支流、一ノ瀬川
一ノ瀬川本流ナメ沢、一ノ瀬川支流センノ沢(下降)、一ノ瀬川支流柳沢
十四、笠科川左岸支流の沢
スリバナ沢、笠科川本流、引上悪沢、悪沢、井戸沢、小赤沢、赤沢、硫黄沢本流、硫黄沢支流丸山沢、硫黄沢支流大久保沢
遡行小史
●抜粋
はじめに
本書は我々の山の会、市川学園山岳OB会の遺書である。我々の会は、南会津、足尾山地、白神山地など、当時未開であった山地に開拓的、探検的な山行をしてきた。その成果は『山と溪谷』や『岳人』に多くの記録として発表された。しかし、我々の会は残念なことに解散してしまった。会は同窓の仲間の集まりで親近感があり、山行は自由で束縛されることはほとんどなかった。しかし、会は同窓会的性格の故に人材補給に制約があり、その自由な雰囲気の故に活動は散漫沈滞化し、遂に山岳会としての活動を停止してしまった。とは言え会は三十年近くも存続したのである。その間には、色々な意味での遺産も蓄積してきた。一例を挙げれば、会は小さな山小屋まで持っていた。会が解散するに際し、会の遺産の一つである登行記録は記録担当委員であった私が管理保存することになった。帝釈山脈は会が解散になる前に最後に取り組んだ地域研究の対象となった山域である。しかし、停滞する活動のなかで山行は遅々として進まず、この地域の研究や開拓は結局未完のままに終わってしまった。会が解散してからも、私は個人的にでもこの山域の開拓山行を続けようと思った。しかし、仕事、家庭の事情などが山行を許さない状況にした。それに止めを刺したのが膝の痛みであった。右膝の軟骨が磨り減ってしまっていたのだ。これで登山者としての命運は尽きてしまった。
帝釈山脈の記録のない沢をすべて遡行しこの山地の全貌を明らかにしようというのが当初の計画であり、それは百%は完成はしなかったが、記録はかなりの数に上りこの山地の大部分の様相は明らかにすることができた。そのような訳で会から記録の管理を委託された私としては何としてもこれらの記録を纏めて一冊の本として出版したいと思ったのである。我々の会が鬼怒川源流での山行をしていたのは折しも奥鬼怒山地のスーパー林道の開鑿が世論を賑わしていた頃であった。鬼怒沼付近は帝釈山脈でも最も奥深い所であったがそこにも林道が伸びる日が刻々と近づいていた。我々が鬼怒源流域に入ったのはそこが林道でズタズタになる直前の自然が残された最後の時期であった。幸い我々はこの他にも帝釈山脈の多くの沢流で林道や伐採による破壊や荒廃が起こる前に遡行を行うことができた。そのような意味で我々の記録は帝釈山脈の沢流の最後の自然の姿を伝えるものである。そのような訳でこの本は帝釈山脈の遺書でもあり鎮魂歌でもあるのである。
この山地の概説
帝釈山脈の地理的な概念については諸説があってその範囲は確定しがたいが、登山者の間では山王峠から尾瀬沼までの山域の呼称であると一般には理解されているように思われる。
帝釈山脈は、栃木福島県境に位置するが、それは単なる県境山脈というよりは関東と東北というより大きな地方を界する山脈と認識する必要がある。事実、帝釈山脈の周辺には他の山地が幅広く重畳と連なり、平野を大きく隔てているからである。
帝釈山脈の南側には日光山地が、北側には駒止高原山地と駒―朝日山地が、東側には男鹿山地が、そして西側には尾瀬山地が、四囲に隣接して連なり、帝釈山脈の本体はこれらの山地に遮られ容易に平野から望見することはできない。そこはまた、鬼怒川、片品川、伊南川の三つの水源が集まる奥深いところでもある。日光の山々に登ると、その北側に関東平野からは決して見ることができなかった山々が幾重にも連なるのが望見され、改めて奥深い山岳地帯があることを認識させられるのである。関東と東北の境がこの山地にあるのも成程もっともなことだと思われるのである。
奥地の重畳たる大森林山脈、それが周辺の山地から帝釈山脈を見たとき誰しもが抱く印象であろう。今でこそ、幾多の林道がこの山脈に食い込み或いは山脈を横断し未開の姿は失われつつあるとはいえ、我々がこの山地に分け入った頃は未知の神秘的な山地がそこに広がっていた。今では道路や鉄道の発達により帝釈山脈に入山するのは容易になったが、かつては帝釈山脈に入山するのは容易ではなく、多くの時間と日数を要したのである。それ故にこの山地の神秘性は保たれ、自然に満ち溢れた姿が残されていたのである。
この山地を特徴づけるものの一つは魅力的な湿原の存在であろう。有名な鬼怒沼や田代山を始め湿原は幾つも存在し、登山者によって初めて世に紹介された湿原も少なくない。湿原がいかに素晴らしい貴重な所であるのかは尾瀬へ行った者ならば誰しもが感ずることであり、今更これについてくどくどと述べるまでもないことである。確かに、季節の折々に美しい花を咲かせる尾瀬の高層湿原を木道から見るのも楽しいことではある。しかし、沢を遡行し幾多の滝を乗り越え、また、笹埃にまみれて猛烈な藪を漕いで、人の訪れない湿原に辿り着いた時ほど登山者を感激させるものはない。たとえそれがどんな小さな湿原であろうと、そこに居るのは我々だけなのである。そこに広がる草原も、点在する池塘も、咲き乱れる花も、すべて我々だけのためにあり、我々だけでそれを独占している、という非常に満ち足りた気分になるのである。そして、それが知られざる湿原の場合には尚更である。
湿原の外にこの山地を特徴づけるものをもう一つ挙げるとすれば、それは滑滝帯あるいは滑床帯ではなかろうか。この山地の西部では地形と地質の関係であろうか滑滝や滑床が実に多い。中でも根羽沢の支流の大薙沢では黄土色の滑床の上をサラサラと水が流れ、それがどこまでも延々と続くのである。出合から源頭まで沢筋の大部分は滑床帯であり、一n半ないし二nにも及んでいる。木や藪に煩わされることもなく、また、ゴロゴロした転石に足を取られることもなく、硬い平らな岩床の上を歩くのは実に快適であり、沢歩きの醍醐味はまさにこれに尽きるといえるのである。
<以下略>
見開き見本
