白山書房の本紹介 |
|
|
いつのことだったか若いとき、飛行機の窓から壮大な雲海を見た。「自分を拘束するものは何もない。いつか地の果てまで旅したい」という思いが浮かんできた。他愛ないことだが、いつまでも忘れない。カナダ、ニュージーランド、アラスカ、ミャンマー、ボルネオの自然、ヨーロッパ諸国点描など15カ国を巡った60歳からの自由気儘な旅。趣味の森林生態系、恐竜化石についての随筆も併載。 [筆者紹介] 1937年 埼玉県浦和市(現さいたま市)に生まれる。 1961年 伊藤忠商事株式会社入社、1996年同退社。 1998年〜 静岡県伊東市(伊豆高原)に定住。 画家:日本美術家連盟会員。 |
●目次 一、カナダの旅、カナディアン・ロッキーズ 1 アダマンツ山荘 11 2 氷原パークウェイ 18 3 バッドランドの恐竜化石 25 4 バンクーバー 29 二、ニュージーランド南島の旅、自然と自然史 1 クライストチャーチ 36 2 マウント・クック国立公園 43 3 フィヨルドランド、テアナウ 52 4 オタゴ半島、ダニーデン 60 5 驚異の海鳥、アルバトロス 68 三、アラスカの旅 1 アラスカ鉄道 76 2 デナリ国立公園 83 3 アラスカの先住民 93 4 ケナイ半島、スワード 100 2部 ヨーロッパ、ミャンマー、ボルネオの旅 一、ヨーロッパの旅1 フィンランド、ドイツなど 1 フィンランド、サボンリーナ 111 2 エストニア、タリン 116 3 ポーランド、ワルシャワ 123 4 ドイツ、ベルリン、ライプツィヒ、ドレスデン 127 5 チェコ、プラハ 136 二、ヨーロッパの旅2 イタリア、スペインなど 1 イタリア、トスカーナ 143 2 スイス、ミューレン 148 3 スペイン、アンダルシア 152 4 フランス、パリ 156 5 英国、ノッティンガム 159 三、ミャンマーの旅 1 パゴダ、パゴダ 165 2 アマラプラの僧院、マンダレーの王宮 175 3 インパール作戦 180 4 インレー湖のクルーズ 187 四、ボルネオの旅 1 キナバタンガン川クルーズ 197 2 ダナンバレー自然保護区 203 3 熱帯雨林の生態系 210 4 グヌンムル国立公園 217 5 ボルネオの哺乳類 223 3部 随筆 自然と自然史 一、伊豆半島から森林の行方を考える 1 天然林 234 2 里山と広葉樹林 239 3 スギ人工林、拡大造林政策 243 4 タケの侵入 246 5 日本の森林の行方 251 二、恐竜化石 三題 1 アジアの恐竜化石発掘小史 261 2 北京自然史博物館 268 3 ティラノサウルスとトロオドン 279 北京、天津の博物館展示の恐竜化石リスト 289 参考文献 291 おわりに 292 ●はじめに 一九九六年六月、六〇歳の誕生日まであと数週間というところで、長いサラリーマン生活を辞めた。退職すると最大の楽しみは好きな分野の本を読むこと。それ以外では何といっても旅行である。色々調べて旅程を工夫し、異国をゆっくり見て歩くことである。 現役時代は貿易の職業柄世界中を飛び回ったが、毎度大都会の片隅をちょこちょこ動くだけで、その地域の自然に接し、自然と住民の歴史に関心を持つ余裕はなかった。 六〇歳からの旅を『中国辺境の旅―60歳から夢の旅』の書名で二〇〇六年秋に出版したときはこれが最初で最後の本と思ったが、再度挑戦、妻範子との二人旅を中心に一冊にまとめた。本書も六〇歳からの旅行に限り、「六〇歳から夢の旅」の完結編とした。 本書は過去一一年間に訪ねたカナダ、ニュージーランド、アラスカ、ミャンマー、マレーシアとヨーロッパ一〇カ国の計一五カ国の紀行である。前著では英国、中国、ウズベキスタン、カンボジア、ベトナム、インドの六カ国の旅を扱った。英国が重複しているので、この一一年間の訪問国は累計二〇カ国になる。多いような、そうでもないような気もするが、一つ一つの旅を丁寧に準備し、一期一会のつもりで旅行したことは確かである。 題名について、それはいつのことだったか非常に若いとき、飛行機の窓から壮大な雲海を見ていると、「自分を拘束するものは何もない、いつか地の果てまで旅したい」という思いが浮かんできて、ひとりで感激した。他愛ないことだが、いつまでも忘れない。 また本書では「伊豆半島から森林の行方を考える」と「恐竜化石、三題」の二章を加えた。伊豆高原に定住してこの一〇年来、興味をもった森林生態系観察と恐竜化石研究についての随筆で、人生旅路の晩期に親しんだ趣味を語る、といったところである。 ●本編より アダマンツ山荘 サンフランシスコ、カルガリー経由でバンフに着いたのは二〇〇三年の六月末である。バンフ国立公園はカナディアン・ロッキーズ(北米の背骨ロッキー山脈のカナダの部分)にあり、中心のバンフは積雪期はスキー、無雪期はハイキングなどで賑わうカナダを代表するリゾートになっている。一番近い空港は一二八キロ離れたカルガリーで、ほとんどの観光客はこのルートをバスかレンタカーでやって来る。バンクーバーからの鉄道もあるが、八五〇キロもあるから途中どこかで一、二泊する旅程になる。 バンフで有名なホテルは街から少し離れた高台に建つフェアモント・バンフ・スプリングス・ホテルだが、宿代がかなり高いので街中のバンフ・パーク・ロッジを予約した。街中といっても閑静で、重厚な木造りのホテルである。 バンフの街から四方にハイキング・トレイルがのび、針葉樹林を抜けてロッキーの山々を仰ぎ見ることができる。ロッキーとは文字通り岩の山、岩がむき出しになった急峻で荒々しい、ひとことでいえば絵になる山岳である。 カナディアン・ロッキーズにはいつか必ず旅行しようと思っていた。いろいろ調べて、CMH(カナディアン・マウンテン・ホリディズ)というヘリコプターを使う旅行会社のアダマンツ山荘四泊五日のパッケージを購入し、全部で二週間の旅程をつくった。CMHはバンフ周辺の五カ所に山荘を保有しているので、ホームページを参考にアダマンツ・ロッジを選んで予約した。 朝食後、チェックアウトしてロビーで待っていると、CMHの大型バスがピックアップにくる。バンフのホテルを数軒回り、アダマンツ山荘を予約した客を集めて出発。山荘はブリティッシュ・コロンビア州のセルカーク山系にあり、バンフから西に三五〇キロも離れている。山荘はカルガリー〜バンクーバーを結ぶハイウェイを西に向かい、ゴールデンというリゾート・タウンから北方セルカーク山脈に深く入ったところにある。 バスが変哲もないロッジの前に停まると、係員がバスから客のトランクを降ろしトラックに積みかえる。荷物はトラックで林道を山荘まで運搬する、人間(客)の運搬は間もなく轟音とともにヘリコプターが迎えに来る。明日から毎日このヘリで遠い山奥に運んでもらい、原生林や渓谷をハイキングするのである。昔カリマンタン(インドネシア領ボルネオ)でソ連製の大型ヘリに乗ったことがあるが、振動と騒音が酷かった。このアメリカ製のヘリは八人乗りくらいの中型で振動はなかった。高度を上げ水平飛行に移ると、かなりスピードが出る。 山と森林が果てしなく続く凄い景観である。セルカーク山脈はロッキー山脈に平行していて、川でいえば支流のような存在である。 樹海のなかにアダマンツのロッジが見えると接近し、ホバーリングして小さなヘリポートに着陸した。標高一一〇〇メートルにある山荘は太い針葉樹を使った頑丈な二階建てで、最大四四人の客が泊まれる。ロビーや食堂、ベランダは驚くほど広く、バス、トイレ付の個室もかなり広い。山荘には電話、パソコン、ラジオ・テレビ、新聞雑誌は一切なく、滞在中はそういうものは忘れてくださいというメッセージである(オフィスにはパソコンも無線通信機もあり、緊急のときは電話を貸してくれる)。 朝食、夕食は決まったメニューだが、質量ともに豊かで、特に夕食は一流レストラン級である。昼食は朝からハイキングに行く都合上弁当で、玄関にサンドイッチ、リンゴ、チョコレート、水が置いてあり、各自好きなだけ持っていく。トレッキング・シューズは日本から持参したが、山荘では靴、雨具、杖、ザックなど一式を無料で貸してくれる。 翌日朝食後、難易度三段階のレベル別に組を分け、各々ガイドが付く。我々は一番易しい組に入ったが、メンバーは女性のガイドを入れて六〜七人だった。ヘリが飛び立ち、名も知らぬ目的地に向かう。地平の彼方まで山波が続くが、上の方はまだ雪と氷で白く光っている。ガイドは「この季節(七月初め)には普通の年はもっと雪が減っているのですが」という。 大分飛行して狭い平坦なところに舞い降りると、プロペラを緩く回転させたまま、ドアを開け、頭を低くして素早く降りろという。全員が降りると、ヘリは飛び上がり爆音とともに消えてしまった。そこは白銀の鋭鋒に囲まれた雪の上、その静寂さに圧倒される。しばし呆然となる。 ガイドは「ゆっくり一列縦隊で雪の斜面を下りて森林に向かえ」という。針葉樹の原生林に入ると、今度は「横に広がって、前の人の足跡を踏まないように前進しろ」と指示する。どうしてか。「何度も踏むと原生林の林床の苔や地衣類が傷つき、回復しないから」と。日本では登山道から外れて歩くなというが、カナダでは同じところを歩いて道をつくるなという。原生林のコースは毎回少しずつ変えているという。徹底した自然保護に驚いた。「今存在する自然を少しも損なうことなく子孫に残す」という理念は言葉だけでなく、ナチュラリストのガイドが厳しく指導するのである。 長距離を歩き、もうパーティについて行くだけで精一杯の状態になる。いつものことだが、範子はまだ余裕を残している。気がついてみると自分はパーティの最年長で、アメリカ、カナダの人たちは中年くらいでパワーがある。ガイドは三〇歳くらいで非常にパワフル。 渓谷の水辺に到達してようやく昼飯になり、やれやれと休んだ。それからまた歩き、パイロットとガイドが事前に打ち合わせた地点で待っているとヘリが飛来する。「プロペラの風圧に気をつけて素早く乗り込め」という。乗り込み、シートベルトを締め、ドアを閉めるとすぐ飛び上がった。パイロットはカナダ空軍出身のベテランで、CMH二〇年の歴史でヘリの死傷者は皆無という。それでも山荘のヘリポートに着陸すると、パーティの一同思わず安堵の吐息というところだった。 翌日はまたサンドイッチと水を持ってヘリ・ハイキングに出発する。上級クラスはどんなコースなのだろう、ザイルを使った岩登りもある。我々の初級クラスは昨日と同じメンバーなので、仲良くなって針葉樹の原生林を歩いた。 何の匂いなのか、原生林はある特別の香りを放っている。七月初めで日本の早春の森林の感じ、林床はふかふかした絨毯のような苔と地衣類に覆われていて雪はない。降雪は針葉樹の枝葉にさえぎられて地表まで届かない。この大森林で迷子になれば大変なことになる。自力では絶対に人のいるところまで辿り着けない。 石英を含んだ岩石が散らばる斜面に高山植物の花が咲き始めている。日本の高山植物と同じで、小柄で葉も花も小さく可憐である。 疲労と達成した満足感が入り混じって長い一日は終わり、ヘリで帰途につく。有難いことに山荘には本格的なサウナとジャグジーの露天風呂がある。 その次の日も快晴、雪山は招いているが、もうエネルギーの残量が心細くギブアップする。範子は勇躍出発、後で聞くと曰く「第三回は一番きつかったが、一番よかった。大きな雪崩も見た。凄い轟音だった」と。 この日は山荘のベランダにイーゼルを立て、風景を描く。川の名前、ゴールド・ストリーム・リバーは辺境の地らしいラフな名だ。ハイキングに行かないアメリカ人老夫婦が絵描きをいつまでも見物してくれた。このとき描いた一二号キャンバスの油彩画は今でも家にある。一寸気に入らないところがあって、その後銀座で催した風景画個展にも出さなかった。今見ると、描いたときの気分が蘇えり、気になっていた欠点はどうでもいいことに思える。 その後、林道を歩いてひとりで下の谷川まで行った。二つの川が合流するところで見た急流の風景がよかったが、蚊の大群に襲われて大変だった。 アダマンツ山荘ではランドリー・サービスはなく、シーツやタオルの交換もない。生ゴミはコンポストで、焼却ゴミ、ビン、缶などはトラックで下界に運ぶ、下水は最新鋭の処理設備で、という具合に環境保全には万全を尽くしている。全館禁煙、喫煙者は来なくて結構と、万事徹底している。 五日目、午前中ヘリで麓まで下り、先にトラックで運んだ荷物を積んで待機のCMHのバスに乗り込む。アダマンツ山荘にはレンタカーで来ることはできない。山荘を所有するCMHのパッケージを購入する以外にない。環境保全について参加者としていくつか条件がついているが、「今の自然をそのままの姿で子孫に残す」というカナダの国民的決意に賛同できるなら抵抗感はない。アダマンツ山荘は忘れ難い思い出になった。 日本の森林の行方 日本の森林問題は寿命が尽きつつあるスギ人工林をどうするかである。結論からいえば、自国内にあり余る森林資源を持ちながら、世界最大の木材輸入国であり続ける日本の林業政策は間違っている。年間木材総需要の八一%を輸入でまかない、国産材による自給率は一九%にすぎない。 中国は環境保全のため自国の森林を保護し(治山治水、封山育林)、木材輸入が急増している。日本は輸入材の方が安いからと、人工林を放置して輸入依存を続けている。海外資源依存という意味では結果として日本、中国は同一行動をとって木材の国際価格を高くしている。また日本、中国の輸入によって「地球の肺」といわれるかけがえのない熱帯雨林の破壊が止まらない。 日本政府は輸入木材、紙パルプに高率の関税を課し、輸入材の大部分を締め出し、国内の木材価格をある程度高騰させるべきである。またその関税収入を含め森林再生、林業再建のための長期の特別予算を組み、スギ、ヒノキ人工林を計画的に皆伐し、使える木材は市場に流通させ、間伐材を含め使えない木材はバイオマス発電などで有効利用すべきである。(注4) 皆伐跡地には木材生産のための植林事業とブナなど広葉樹の森林再生のための植林事業を同時に行うべきである。成長が止まった人工林を皆伐し、植林すれば二酸化炭素の吸収が増え温暖化を食い止める働きをする。人工林が朽ち果てる前に有効利用すれば、その分化石燃料への依存を減らせ、しかもその利用は持続可能である。 皆伐した人工林の跡地のうち林業に適した立地を選び、木材生産に適した針葉樹などを植林する。政府の一貫した助成金によって、市場に出して売れる見込みがつけば地方の林業は復活し、積極的に皆伐、植林するようになる。また新たな「森林トラスト」の設立などで民間資金を集める工夫も必要となる。 フィンランドでは森林産業はほとんど民間の事業で、製材、紙パルプ業はエレクトロニクスに次いで二番目に大きい産業である。私有の人工林が多いが、私有林を含め国内すべての植林をコンピュータ管理し、伐採時期、販売先、市場価格などの助言をしている。反面、私有地だからといって、許可なく勝手に樹木を伐採することはできない。土地の利用、樹木伐採については所有者の権利、私権は公益のため大きく制限されなければならない。 ともあれ、フィンランドでは個人が一定の植林に投資することが助成金なしで安定した利回りになる。それこそ持続可能な環境保全であり、素晴しい社会システムである。 日本でも伐採、搬出が容易な丘陵地などに植林し、「木の畑」をつくり、資本を集め、情報処理、機械工学の技術を集積して経営し、エネルギー政策の転換と同調させれば林業は復興し、やがて国際競争力を回復し、一旦設けた木材輸入関税を将来撤廃することも夢ではない。 他方、山奥や険しい沢筋など持続的な植林事業に適さない人工林伐採跡地には、この機会にブナなど広葉樹の苗を植えて水源涵養林(緑のダム)として森林を再生する。(各地のスギ、ヒノキの人工林を見ていると、険しい谷などとても伐採、搬出が出来そうもないところがある。苗の植林は手間賃仕事なので、とにかく植えろと、将来の作業のことを考えなかったと思われる現場が少なくない。植林事業として当初の計画に少なからず問題があったと思う)。 その森林は永久に伐採しないから直接の金銭的利益を生まないが、豊かな水源となり、やがて日本古来の美しい森を次世代に残すことができる。公共事業と称してやがて土砂で埋まる無用の砂防ダムを造り続けるのとどちらが賢いか、答えは自明である。それでもダムを造り続けるのは、「土建国家日本」から脱却できない地方経済の疲弊と利権政治のためである。(注5) 日本政府は放置され、荒廃する人工林を目の前にして、なぜ木材輸入関税の引き上げを梃子とする国内資源利用、森林再生の抜本策がとれないのか。それは世界貿易の自由化と貿易関税撤廃の流れに逆行する政策を回避しようとするからで、具体的には自動車、エレクトロニクスなどの輸出と世界戦略で繁栄する国内大企業とアメリカのグローバリズム金融資本の反発を怖れるからである。 国内政治がまったく動かないのは、一つには林業再興について政治家にはどこからも陳情がないからである。(陳情がなければ、献金もない)。また主要メディアの関心が薄いことについてはいろいろな見方があるが、実際に記事を書く若い記者が都会育ちで、自然を知らずに育ち、森林荒廃の現実にまったく無関心なことが大きな原因ではないか。子供のときからコンクリート・ジャングルだけで育てば、日本列島の森林が明日壊滅すると聞いても、何も感じないのかもしれない。 米国主導のグローバリズムと自由貿易ばかりを信奉し、国土の荒廃に目をふさいで、関税撤廃の原則を墨守する必要はない。森林保護、森林再生は人類に迫り来る危機回避、地球温暖化に対処する最も基本的な施策である。FTAが、GDPがアーダ、コーダと議論しているうちに、地球温暖化による異常気象がますます極端になって来ている。グローバリズムといえばなんとなく格好いいが、しょせんお金の話であって、持続可能な地球環境という大前提がなければそれも成り立たない。(注6) バイオマス発電などでエネルギーと地球環境の難題を解決しながら、大型の新規産業を興し、新しい植林事業で地方の雇用を増やせば、内需振興により(無駄な公共工事を削減しつつ)日本経済は再び健康な発展軌道に入る。 建設業、セメント、鉄鋼メーカーの売り上げ減になるとしても、土建国家の矛盾から本気で抜け出す必要がある。その切り札として新規公共工事を五〇〜八〇%削減し、荒廃する人工林を皆伐してバイオマス発電などを含め資源を有効利用しながら新しい林業を興せば、地方の過疎化を食い止め、地方経済の活力を取り戻すことができる。 近年森林環境税を導入する自治体が増えている。税収(先駆けた高知県の場合年間一億四〇〇〇万円)は間伐促進などの担い手(ボランティアなど)育成の事業にあてられる。こんなわずかな資金で荒廃する人工林の問題を解決するなどはまったくナンセンスある。 森林再生は、国力を傾注して取り込むべき大事業である。現状では「美しい森林をまもる」という美辞麗句の裏に、迫りくるスギ人工林崩壊の危機が隠されている。 残り少ない天然林にはいっさい手をつけてはならない。天然林にも間伐が必要と主張するような林野庁官僚の詭弁、虚言を許してはならない。 天然林の保全については環境省に管轄を移し、林野庁は人工林再生、新しい林業再興の大プロジェクトの事務局に専念するべきである。森林再生は数ある経済政策の一つではない。地球の森林再生は現代人が人類生存のために取り組むべき課題である。現状は再生どころか、破壊が続いている。過去諸文明の崩壊はすべて森林の消滅に起因したことを忘れてはならない。 天然林にはいっさい手をつけないのだから、環境省に管轄を移管しても国有天然林については何もすることがないが、民有の天然林(非常に少ない)は政府が買い取り、国有にするべきだろう。環境省は基本的に地球温暖化対策の大プロジェクトの事務局として精励すべきである。 高額の輸入関税を課せば輸入に急ブレーキがかかり、木材、紙パルプなどの国内市場価格は当然高騰するが、政府が政策の目的をはっきり説明すれば、多くの日本人は森林の行方を心配しているので大多数が賛成するし、また本気で紙の消費などを抑えるだろう。また木材、紙パルプの輸入規制については、国際社会もいつか日本の本当の意図を理解して大きな拍手を送るだろう。 過剰な消費は決して美徳でない。エネルギーを含む資源の無駄遣いを惜しみ、みせびらかしの浪費を卑しいと感じる文化をつくらなければいけない。 政府は戦後六〇年の状況変化によって過去の「拡大造林政策」が失敗したことをまず国民に告げなければならない。失敗は人間の常で、それが問題なのではない。問題なのは過去の失敗ではなく、いつまでも事実を隠し、勇気をもって正面から問題に取り組まないことである。 あり余る国内の森林資源を無駄に荒廃させながら、天然林を含む海外の森林資源を消費し続ける政策を止め、日本林業を再興する政策に大転換すべきである。 ●おわりに 六〇歳から好奇心のおもむくまま海外旅行を続けて、今年七〇歳になった。七〇歳以上の先輩、旧友に訊くと、どなたも七〇歳の高齢になって自分がどんな意識を持つのか若いときには想像もしなかったという。実際に七〇歳になると、自分自身は以前と同じで何も変わっていない。とすると、八〇歳になっても、九〇歳になっても同じことで、筋力の衰え、記憶力、視力など脳とセンサーの能力減退はさらに進むものの、おそらく自分の意識は今後とも変わらないだろう。 時は流れ今迄と同じように生きて行くだけである。が、いつか突然寿命は尽き、死が訪れる。そのときまで好奇心を失わず、元気に生きたいと思う。 「ニュージーランド南島の旅、自然と自然史」は東北公益文科大学ニュージーランド研究所の「ニュージーランド・ノート」第四、第七号に寄稿したもの、また「伊豆半島から森林の行方を考える」は二〇〇七年四月、伊豆新聞に寄稿、連載したものを基に、二〇〇七年六月に書き直した。 自作の絵、スケッチは表紙カバーを含め一二枚載せた。旅の写真は七六枚載せたが、「ヨーロッパの旅2」には写真がない。短い旅の印象にふさわしいフィルム写真(当時はデジカメなし)が見つからなかった。 六〇歳からこんな楽しい旅ができるとは、若いときには思いもよらないことであった。いずれ老人になる壮年の方々にアドバイスをひとこと。引退してから慌てて老後の暮らし方、楽しみ方をさがすのは、格好がよくない。ライフワークというのは大袈裟にしても、なるべく若いときに自分が終生興味を持てそうなことを、大きな項目でいくつか見つけておくといい。 古生物学はほんの一例に過ぎないが、時間はかかるがお金はかからない類のある分野の勉強をするとか、何か一つ独りでできることがあるといい。これは昔、私自身が大先輩からアドバイスされたことである。 本書の出版にあたっては白山書房の簔浦登美雄社長に再び大変お世話になりました。また、地図、地理については山岳紀行作家の石井光造氏にお世話になりました。末筆ながら、ここに記して厚くお礼申し上げます。 |