白山書房の本紹介

回想の秩父多摩 離れ猿の山ある記 河野寿夫著 四六判194頁 1,600円(本体)

ほぼ半世紀の昔、昭和三十〜四十年代のまさに山に、人間に、生気があふれていた頃の紀行集である。

著者は次のように語る。

<その頃の様子をできるだけ再現しようとこころみた。当時を知らない多くの方々に、ああ、昔はこんな様子だったんだなあ……と懐かしんでいただくと同時に、自然破壊の現状がどんなものであるかを知っていただけるなら、この書の目的は半ば達成されたことになる。すなわち、この書は単なる紀行や回想ではない。いわば、しだいに破壊されゆく自然への、ささやかな鎮魂歌とでもいえるであろうか>

それは自然にとどまらず、山のなまえなど山村民俗にも及ぶ。若い人から往年の人まで、秩父多摩に興味のある人には非常におもしろい。

【プロフィール】
1933年、東京都新宿区に生れる。学生時代は主として奥多摩、奥秩父、南アルプスに興味を持ち、とくに日原や奥秩父北面の沢歩きに熱中する。人の行かない静かな山を好み、西上州、上信国境、越後、東北の山を歩く。
著書に『折々の山』(自費出版)、『山登りって何だろう](白山書房)


●もくじ
第一章 忘れ得ぬ人々
 原全教さんのこと 栄さんのこと 日原と山崎憲一郎さん 田辺正道さん(笠取小屋) 田辺儀一さん 真鍋タケ子さん(氷川山荘) 木宮丈助さん(獅子口小屋) 田辺金雄さん(将監小屋) ある日の電車の中で 酉谷山の頂上で
第二章 回想の山 強健旅行班 青梅線のこと 大菩薩峠を越えて 仙元峠 天目山、実は酉谷山 天目山と酉谷山 小川谷林道から酉谷山へ 芋ノ木ドッケ 不思議な呼び名 長沢背稜 坊主山の北面 県界尾根の北側 大久保谷と大久保林道 川浦谷と川浦谷林道 酉谷山の北面  大血川東谷から 熊倉山から 大洞林道 バラクチ尾根 和名倉山 市ノ沢から和名倉山へ将監峠とはどこのことか 将監峠から和名倉山へ 大洞の沢 大洞の源流の名称について 井戸沢と足のケガ 椹谷 荒沢 大洞の本谷から井戸沢へ 惣小屋谷 大洞の山ダニ 滝川林道 滝川林道本線 雁峠のことども 滝川林道槙ノ沢線 槙ノ沢と熊穴沢 槙ノ沢の本流 枝沢(熊穴沢) ミョウキ尾根の地形について 唐松尾山北面の道 唐松尾山と県界尾根 真ノ沢と真ノ沢林道 駆け足登山 巳ノ戸林道 甲武信岳 日原周辺の林道ほか 川苔谷林道 小川谷林道 日原林道 孫惣谷林道 峰越林道 将監峠への道と水神社 

●抜粋
「第二章 回想の山 大洞の沢」より
 奥多摩や奥秩父の沢には、独特の雰囲気があって興味深い。だが、数ある沢の中で、大洞や滝川の支流については、あまりガイドや記録を見かけなかった。昭和三十年代もはじめの頃のことである。今ではそれほどのことはないが、それでも大洞や滝川の沢歩きといえば、あまり一般的とはいえないだろう。当時のわたしは、われこそは記録を作らんものと探求心を燃やしていた。
大洞の源流の名称について
 大洞の沢のうち、市ノ沢については和名倉山のところで書いたので、ここではそれ以外の沢について説明したい。
 まず、名称の問題から入ろう。大洞の「ホラ」は、丹沢の桧洞などにも例が見られるように、「沢」と同義語であるから、大洞川と言ったのでは「洞」と「川」がだぶることになり、本当はおかしいわけで、地元でも単に大洞、ということの方が多いようである。地形図に書かれた大洞の支流の名称の誤りについては、下流の地域に関しては先に指摘しておいたが、誤りは源流地域にもある。まず、惣小屋谷である。二万五千分の一地形図「雲取山」を見ていただきたい。惣小屋谷、と記入のある文字の位置がまず問題である。これはおかしい、とすぐ気づくと思われる。ちょうど「屋」の字のある位置に西から流れ込むのが惣小屋谷、南へ分かれるようになっているのが大洞の本谷である。つまり、「屋」の字より下流は本谷そのものであるから、その本谷に惣小屋谷の「谷」の字がかかっているのは何としても腑に落ちない。
 次に、惣小屋谷を分けた後の大洞本谷の源流に目を移していただきたい。井戸沢と椹谷の文字が見える。井戸沢の「戸」の字のところに椹谷が合流しているので、この書き方では惣小屋谷を分けた後の大洞本谷が、すなわち井戸沢で、椹谷はその支流ということになる。が、事実はそうではない。大洞本谷は、惣小屋谷を分けた後もずっと大洞川で、これがさらに二つに分かれて井戸沢と椹谷とになるのである。すなわち、井戸沢と椹谷は、ともに分かれた後の名称である。地元では、椹谷の方が本谷とさえ言っているくらいである。昔から、これについての感違いは結構根強く、沢歩きの記録やガイドなどに、大洞本谷がすなわち井戸沢、ととれるような書き方が時々あった。今でもある。ところが、実際に現地で地形を見ていると、感違いするのも当然のような気がしてくる。そんな地形なのである。沢の名前に関する限りでは、旧五万分の一地形図「三峯」の記載は正しかった。つまりは、地形図がわざわざ誤った方向に改訂されているのである。これはいったいどうしたことだろうか。古くからの地元の呼び名を無視することのないよう、地形図やガイドの作成者は、くれぐれも注意してほしいものである。
井戸沢と足のケガ
 この時の足のケガは、決して忘れることができない。人に自慢できるような話ではないのであまり書きたくはないが、井戸沢の遡行について触れる限り、どうしても避けて通るわけにはいかなくなる。それは今考えても悪夢というほかはなく、わたしにとっては一生の不覚だった。
 昭和三十一年(一九五六年)十一月、わたしは単独で井戸沢の遡行を志した。もちろん、この谷へははじめての入谷である。無鉄砲といわれれば、確かに無鉄砲には違いなかった。
 栄さんの小屋は早朝にたった。惣小屋谷の出合いから大洞林道をソゲ岩に登り、やや下って、指導標に井戸沢分岐とある地点から分かれ、踏み跡をたどってふたたびソゲ岩に続く尾根に登り返す。尾根上には、小さな岩を利用した山の神の祠がある。尾根を乗り越えると、踏み跡は南腹を巻くように進み、しだいに不明瞭になるが、最後には下って井戸沢に降り立つことができる。井戸沢、椹谷両谷の出合いのやや上流の地点である。この踏み跡はたいへん気分のいい原始境で、かつて、井戸沢に国有林と民有林の境界標を入れるに際して切り開いた道の跡だという。釣師たちも利用している本谷の悪場を回避する、格好なバイパスルートである。
 紅葉がみごとで、大洞の谷にこだまする雄鹿の鳴き声が印象的だった。きれいなゴルジュがあって、十メートルほどの滝がかかっている。やがて、左岸から前新左衛門窪が流入する。仙波尾根のカバヤノ頭付近から流下する沢である。ついで、四メートルあまりの小滝と釜が連続する曲がりくねったゴルジュに直面する。実に美しく、飽きるところを知らない。いい気分で遡行を続けていたが、午後二時頃、悲劇は起こった。
 かなり上流近くになって、左岸から奥新左衛門窪が流れ込む。奥仙波(東仙波)付近から流下する沢で、ちょうどそれを過ぎた時のことである。小滝の左岸を巻くように登りながら、手でつかんだ岩を落としてしまったのだ。岩とはいっても、それほど大きなものではなかったのが幸だったが、運悪く石は右足の甲を直撃して落ちていった。その頃の沢歩きは登山靴ではない。素足にわらじ履きだったから、ひとたまりもなく、その一撃でかなりの裂傷を負ってしまった。
 さあ、もう沢は歩けない。パックリ開いた傷口からは血がいくらでも出てくる。これだから沢の一人歩きは危険なんだ、なんて言ってみたところでどうなるものでもない。薄い手ぬぐいを裂いて傷口を縛る。出血が多量だったら、死ぬだろうなあ、などと思っていると、かえって気持ちが落ちついてきた。あたりの地形を見渡す。尾根へのエスケープルートを探すのが先決である。左岸の小尾根が登れそうなので、これを登ることに決める。
<以下略>



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