白山書房の本紹介

山登りって何だろう
 河野寿夫著 四六判212 1,600円(本体)

〈半世紀を超える自分の山歩きを振り返ってみると、どこかおかしなものがたくさんある。道に迷ったり、迷いそうになったり、途中で日が暮れたり、夜中に歩いたり、ビバークしたりで、無事下山したにしてもどこか普通でない。しかも単独行がほとんどである。そんな山歩きを続けながら、一方で山小屋や登山道が年とともに整備され、登る人たちの年齢層、ひいては山を見る目や考え方がしだいに変わっていくのをまのあたりに眺めてきた。そしてそのあげく突き当たったのが、山歩きとはいったい何だろう、との素朴な疑問だった。〉

「山歩きとは何か」を問いかけながら、50年あまりにわたった登山人生を語る。

●著者プロフィール
河野寿夫(こうの・ひさお)

1933年(昭和8年)、現在の東京都新宿区下落合に生まれる。
日本大学工学部工業化学科(現理工学部物質応用化学科)卒業。会社員。1998年(平成10年)11月退職。
人の行かない静かな山を好み、学生時代は主として奥多摩、奥秩父(とくに日原や北面の沢歩き)、南アルプスに熱中する。そのほか西上州、上信越境、越後、東北の山に興味をもつ。

●山登りって何だろう/目次


はじめに
これでいいのかこの山歩き
 滝子山騒動
 はじめての南アルプス南部
  第一日 転付峠越え
  第二日 北俣尾根から塩見岳・三伏小屋へ
  第三日 三伏峠から荒川小屋へ
  第四日 赤石岳・大沢岳から遠山川へ
  第五日 北又渡をあとに
  付記(遠山川の森林軌道のこと)
 南アルプスの山旅から
  三伏峠から白峰北岳へ
  五月の白峰北岳
  仁田池から聖岳・赤石岳へ
  光岳へ 
 丹後山から中ノ岳、越後駒ヶ岳
  十字峡から丹後山避難小屋まで
  丹後山から中ノ岳避難小屋へ
  中ノ岳から駒ノ小屋を経て大湯温泉へ
 ある山旅の断片から
  餓鬼岳小屋  朝日連峰  権現岳と赤岳
  鳳凰地蔵岳 空木岳から木曽駒ヶ岳へ

 群馬の山放浪記
  一  根本山北面の苦闘
  二  三境山と残馬山
  三  丸岩と高ジョッキ
  四  菅 峰

  五  高間山に登り損なう
  六  吾嬬山
  七  谷急山の北尾根
  八  三ッ岩岳
  九  大 津
  一○ 赤久縄山と杖植峠
  一一 袈裟丸山
山歩きさまざま
 山が変われば
  山はどう変わったか
  登山者も変わる
  中高年登山者
  ガイドブック今昔  
  登りたい山は?
 単独行あれこれ
  天候  道に迷った時  山に魅入られるということ  単独行でなければ味わえないこと

雑 録
 秩父多摩追録
  「山ノ神土」をどう読むか
  再び長沢背稜という尾根の名称について
  和名倉山の遭難碑のことなど
  大洞のこと

あとがき


●「滝子山騒動」より抜粋

 <略>  かすかに聞こえてくる沢音が大きくなると、まもなく沢べりに降りつく。ズミ沢である。だが、道はここでぷつんと途切れる。ちょうどあたりは真っ暗となり、どこに道の続きがあるのか、まったくわからない。暗やみの中で眺めると、沢の水量はかなり多く、沢音もすさまじいばかりである。道の続きを探しに一歩足を踏み出すと、ヘドロ状のひどいぬかるみとなっている。
「ヒャア……」
 娘が足を突っ込んで、靴ごと、靴下まで泥まみれになる。懐中電灯で照らしながら石を跳んで、上流下流を丹念に探ってみるが、道は見当たらない。
「先に行った人たちはどうしたのかなあ」
「そうだねえ、多分まだ明るかったから、すぐ道がわかったんだろうね」
 子どもたちと会話を交わす。今ごろはもう笹子に着いているかもしれない、とも思う。実は、後で知ったことだが、道はこの対岸を通っている。思い切って徒渉すれば、すぐわかったに違いない。こんなことは落ちついて地図を見れば判断のつくことで、それができなかったのはやはり気が焦っていたとしかいいようがない。一応は懐中電灯で対岸を照らして見るには見たが、すぐあきらめてしまった。このまま、いつまでも沢をうろうろしているのは危険だ。何とかしなければ…… と思うと余計に焦る。子どもたちはひと言も泣きごとを言わない。それがかえって不憫でもある。戻ろうか……と問いかけてみる。
「うん、その方がいいと思うなあ」
「ここから頂上まで戻ったら、夜中になるよ」
「ぼくたち、そんなこと平気だよ」
 オヤジよりずっと冷静である。こういう子どもたちの態度が、わたしの気分をどんなに楽にさせてくれただろうか。逆に泣き叫ばれたりしようものなら、処置に困っただろうと思う。そればかりか、弟をなぐさめ、一生懸命力づけようとする娘の態度を、どんなに頼もしく、また心強く思ったことだろう。
 さあ、それなら、ということで、降りてきた道の登りにかかる。急坂の登りだ。懐中電灯が故障したらしく、スイッチを入れてもつかない。タマ切れではない。原因不明である。泣き面に蜂、とはこのことだ。だが、意外なことに、照明がなくてもずいぶん明るい。木の間を通して漏れてくる月明かりのお陰で、足元ばかりかまわりの木々の佇いまで、はっきりわかる。月夜だったことが何よりも幸運だ。腹が減ってきたので何か食べようと、ひと休みする。夕食の弁当など、もちろんあるわけがない。が、非常食を兼ねたスナック菓子ならたくさんある。
「お父さん、あの時、嫌いなポテトチップスをバリバリ食べてたねえ、おかしくなっちゃったよ」
 後々まで、その時のことを思い出しては娘に笑われることになった。
 夜中の急坂の登りは、疲れた体には結構きつい。いくら元気だといっても、小学校一年生の息子には限界がある。バテてしまわないうちにと、オヤジがザックを置いて息子を背負って登る。しばらく登ったところで息子を下ろし、娘と二人、そこで待っていてもらって、その間にザックを取りにまた降りる。そして、ザックを背負って登り返し、下ろしてまた息子を背負う。大変なことだが、その繰り返しでようやく浜立山に登りつく。そこから稜線を東へ、ピークを二つ越えて滝子山の山頂に着いた時には、時計はもう夜中の十二時をまわっていた。月がこうこうとあたりを照らし、深夜の山々を浮かび上がらせている。南には夜の富士山の眺めがすばらしい。三ッ峠山も特徴ある姿を見せ、すぐそれとわかる。
「わあ……」
 子どもたちが疲れを忘れて歓声を上げる。こんなみごとな夜の富士山を、しかも山の上から眺めるのははじめてのことだ。真夜中に滝子山の頂上に立った人など、あまりいないのではないかと思うと、今ここにいるのがちょっと不思議な気分になる。
「迷ったお陰だよね」
 口をそろえて言う。眼下にはちらちらと初狩の町の光が見え、中央線の夜行列車が長い警笛を鳴らして走っていく。
「お母さん、心配してるかなあ」
 気になるけれども連絡のしようがない。<略>



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